2022.03.24
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大正時代はドイツ人が野球をしていた?100年前の中津万象園
中津万象園、広報のY口です。「公式HPにも載っていない中津万象園・丸亀美術館のヒミツ」コラム第3回目はすこしディープな話題を。2022年4月号のマルータ本誌でも簡単に紹介しましたが、さかのぼること大正時代、中津万象園でドイツ式野球「シュラークバル」がプレーされていたというお話です。
俘虜(捕虜)たちの運動場だった万象園
大正3年、丸亀市塩屋町の本願寺塩屋別院に設けられた俘虜収容所に、中国の青島からドイツ兵俘虜が送り込まれました。第一次世界大戦真っただ中の当時、日本陸軍は日英同盟によりドイツの租借地だった中国の青島を攻めました。そこで捕らえたドイツ兵のうち324人が丸亀に送られ、一部将校は船頭町(現西本町)の看護婦養成学校に、ほか大半は塩屋別院に収容されました。
ここでの俘虜たちは、国際法に定められた通り人道的に扱われました。栄養に配慮された食事が与えられ、面会や郵便も許されました。演劇や演奏会なども行われ、彼らが後に徳島県の板東収容所へ移された際の、国内初の第九演奏に繋がる、という話は聞いたことがある方も多いことでしょう。ちなみに板東収容所での第九演奏の話は、『バルトの楽園』という映画にもなっています。
また、俘虜たちは監視付きで外出も許されていました。夏には塩屋の海岸で海水浴もしていました。そして、彼らの外出先として最も多かった場所が、他ならぬ中津公園(中津万象園)です。
彼らの暮らしぶりを記した『丸亀俘虜収容所日誌』を紐解いてみると、丸亀にいた約2年半の間、週2回のペースで万象園まで行って運動をしていることが分かります。「これだけ万象園に来てるなら、写真くらい残ってるんじゃないの?」と思い、県立文書館の嶋田典人先生に問い合わせたところ、やはりありました。
ドイツ式野球を楽しむ当時の人々
それが、冒頭の一見何だかよく分からないスポーツをしている写真です。同じ画像でキャプション付きのものがあり、そこには「Schlagball」と書かれています。
よく分からないので早速ウィキペディア先生に聞いてみると...
シュラークバル(Schlagball)は、イギリスのクリケットが原形とされるドイツ式野球のこと。ドイツ語で「球を打つこと」という意味。(中略)日本においては、第1次世界大戦中にドイツ兵捕虜約1,000人を収容した徳島県鳴門市の板東俘虜収容所内で盛んだったが、1920年1月に最後のドイツ兵が帰還して以降ほとんど行われていない。
シュラークバルというドイツ式野球であることが分かりました。板東俘虜収容所でやっていたのなら、丸亀でも当然同じ事をやっていたでしょう。同じ人が収容されていることですし。
別の写真もあり、フットボール(サッカー)をしているシーンとされていますが、こちらもシュラークバルなんじゃないか?と思います。映っている人は守備位置についている感じですが、サッカーのディフェンスには見えません。おまけにランナーっぽい人も写っていますし。
シュラークバル?を楽しむ人々
100年経っても面影が残る風景
で、画像に写っている場所はどこなの、という話ですが、ほぼ同時期に描かれた万象園の絵図面『萬象園眞影』(画像は模写版)や、遠くに見える下真島の位置から判断すると、現在の『うちわの里』(改修工事中)や『陶器館』がある辺りのように思われます。
嶋田先生からお借りした画像を色々見ていると、ガッツリ万象園を写したものがありました。
同角度から撮った現在の様子がこちら。
大傘松の枝ぶりが立派になりました。これも当園のお庭さん(庭師)の手入れのたまものですが、それ以外は100年前とほとんど何も変わっていないことに驚きます。
そして人間は、野球も戦争も当時と変わらずやっています。100年後はどうなっているでしょうか?
万象園は残っていればいいなあ。
【中の人が語る、万象園こぼれ話シリーズ】
① 中の人が語る!公式HPにも載っていない中津万象園の歴史。
② 公式HPにも載っていない中津万象園・丸亀美術館のヒミツ。
③ 大正時代はドイツ人が野球をしていた?100年前の中津万象園
中津万象園では賛助会員を募集中です。
丸亀市の貴重な文化財である「中津万象園・丸亀美術館 」。歴代藩主たちが約100年の歳月をかけて造り上げた大名庭園をいっしょに守っていきませんか?「支援したい!」という方には当園のファンクラブ的な組織である丸亀京極万象園賛助会へのご入会をお願いしています。応援、どうぞよろしくお願いします。
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中津万象園・丸亀美術館 概要
中津万象園・丸亀美術館
〒763-0054香川県丸亀市中津町25-1
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俘虜(捕虜)たちの運動場だった万象園
大正3年、丸亀市塩屋町の本願寺塩屋別院に設けられた俘虜収容所に、中国の青島からドイツ兵俘虜が送り込まれました。第一次世界大戦真っただ中の当時、日本陸軍は日英同盟によりドイツの租借地だった中国の青島を攻めました。そこで捕らえたドイツ兵のうち324人が丸亀に送られ、一部将校は船頭町(現西本町)の看護婦養成学校に、ほか大半は塩屋別院に収容されました。
ここでの俘虜たちは、国際法に定められた通り人道的に扱われました。栄養に配慮された食事が与えられ、面会や郵便も許されました。演劇や演奏会なども行われ、彼らが後に徳島県の板東収容所へ移された際の、国内初の第九演奏に繋がる、という話は聞いたことがある方も多いことでしょう。ちなみに板東収容所での第九演奏の話は、『バルトの楽園』という映画にもなっています。
また、俘虜たちは監視付きで外出も許されていました。夏には塩屋の海岸で海水浴もしていました。そして、彼らの外出先として最も多かった場所が、他ならぬ中津公園(中津万象園)です。
彼らの暮らしぶりを記した『丸亀俘虜収容所日誌』を紐解いてみると、丸亀にいた約2年半の間、週2回のペースで万象園まで行って運動をしていることが分かります。「これだけ万象園に来てるなら、写真くらい残ってるんじゃないの?」と思い、県立文書館の嶋田典人先生に問い合わせたところ、やはりありました。
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それが、冒頭の一見何だかよく分からないスポーツをしている写真です。同じ画像でキャプション付きのものがあり、そこには「Schlagball」と書かれています。
よく分からないので早速ウィキペディア先生に聞いてみると...
シュラークバル(Schlagball)は、イギリスのクリケットが原形とされるドイツ式野球のこと。ドイツ語で「球を打つこと」という意味。(中略)日本においては、第1次世界大戦中にドイツ兵捕虜約1,000人を収容した徳島県鳴門市の板東俘虜収容所内で盛んだったが、1920年1月に最後のドイツ兵が帰還して以降ほとんど行われていない。
シュラークバルというドイツ式野球であることが分かりました。板東俘虜収容所でやっていたのなら、丸亀でも当然同じ事をやっていたでしょう。同じ人が収容されていることですし。
別の写真もあり、フットボール(サッカー)をしているシーンとされていますが、こちらもシュラークバルなんじゃないか?と思います。映っている人は守備位置についている感じですが、サッカーのディフェンスには見えません。おまけにランナーっぽい人も写っていますし。
シュラークバル?を楽しむ人々
100年経っても面影が残る風景
で、画像に写っている場所はどこなの、という話ですが、ほぼ同時期に描かれた万象園の絵図面『萬象園眞影』(画像は模写版)や、遠くに見える下真島の位置から判断すると、現在の『うちわの里』(改修工事中)や『陶器館』がある辺りのように思われます。
嶋田先生からお借りした画像を色々見ていると、ガッツリ万象園を写したものがありました。
同角度から撮った現在の様子がこちら。
大傘松の枝ぶりが立派になりました。これも当園のお庭さん(庭師)の手入れのたまものですが、それ以外は100年前とほとんど何も変わっていないことに驚きます。
そして人間は、野球も戦争も当時と変わらずやっています。100年後はどうなっているでしょうか?
万象園は残っていればいいなあ。
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