本記事では『月刊マルータ』で連載していた、中津万象園に関するコラムをまとめています。
新しい魅力を知ったり、豆知識が増えることで、さらに中津万象園を楽しめるようになるはず!
【連載コラム】公式HPにも載っていない?! 中津万象園の歴史
連載コラム「公式HPにも載っていない?! 中津万象園の歴史」です。

その名のとおり、公式サイトにも掲載されていないようなコアな情報を中津万象園の広報のY口さんにお話ししていただきました。
中津万象園の歴史
中津万象園から参りました、広報のY口です。
普段は中津万象園・丸亀美術館内もろもろのご案内やイベント開催をお知らせ、SNSでは万象園の様子をほぼ毎日発信し、皆さんに当園の魅力をお伝えするべく日々奮闘しています。
丸亀市中津町にある日本庭園・中津万象園は、2022年に開園40周年を迎えました。
中津万象園は、もともと江戸時代に丸亀藩主だった京極家が、1688年から約100年かけて造った大名庭園です。
その時点で造園から100年が経っているのに、「開園40周年」とはこれ如何に?
この疑問に答えるべく、中津万象園の歴史について簡単にご説明します。
明治維新以後、所有者を転々とする万象園
江戸時代、京極家のお殿様が築庭した当時は中津万象園という名前ではなく、「中津別館」や「中津の御茶所」などと呼ばれていました。
「万象園」という名前は、1884(明治17)年に長州藩出身の貴族院議員で書道家の野村素軒が来園した際に、扁額を揮毫(建物の内外や門・鳥居などの高い位置にかける額・看板に文字を書きおろすこと)して命名したものです。
野村素軒は行く先々で請われるままに命名・揮毫していたといいますから、全国各地にある「ドイツ村」的な軽いノリで付けた名前なのかも知れませんね。

明治時代後期には多度津町の富豪・竹田久太郎氏が中津万象園を所有。
太鼓橋の架け直しなど園内を整備した後、海水浴場として公開します。
当時は讃岐鉄道(現在のJR予讃線)にも夏季限定の臨時駅・中津駅ができ、多くの海水浴客で賑わったといいます。
また、松に囲まれた洲浜には築山とその周りを囲む池などをつくり、「万象園北庭」と名付けて新たな観光スポットになりました(現在の市営中津グラウンド)。
荒廃したお庭を修復し現在の形に
竹田氏の手を離れた後は、大財閥の鈴木商店、地元名士など所有者が転々としますが、いずれも日常的な手入れは行われませんでした。
一部の松は枯れ、池には一面アシが生い茂り、茶亭には床からキノコが生え、あずまや・橋は朽ち果て……園内は次第に荒廃していきました。

特に1946(昭和21)年の昭和南海地震の影響は大きく、約1メートル地盤沈下したため、園内の池に海水が入り込み、組石は崩れてその多くが水没しました。
こうして年々荒れていく間も海水浴場としては存続していたため、当時をよく知るご年配の方からは「草ボーボーの園内を通り抜けて中津の浜へ泳ぎに行った」という思い出話をよくお伺いしています。
持ち主を転々として荒れ果ててしまった万象園。
「京極家の文化財がこのまま消えてしまうのは、丸亀市の大きな損失になる」と、詫間町に本社を置く富士建設社長の眞鍋利光が中津万象園を買い取りました。
1970年のことです。

園内の修景にあたっては、造園家・中根金作氏に指導を仰ぎました。
当時、整備が始まっていたさぬき浜街道は計画の変更を依頼、当初は万象園の真上を突き抜ける計画だったそうです。
それ以外にも樹木の植栽や植え替え、池ざらえ、庭石の組替え、橋の架け替えなどを行い、古図面に描かれたり漢詩に詠まれた美しい庭園の昔日の面影に近付けました。
池の畔には美術館を新設、現在の「中津万象園・丸亀美術館」として公開したのは1982(昭和57)年8月1日のことでした。
開園40周年記念企画進行中!
それから2022年で、ちょうど40年になります。
「開園40周年」には、1982年から生まれ変わった万象園という意味合いがあったのです。
富士建設も開業70周年の節目の年になりますので、中津万象園でも記念事業を計画しています。
またマルータ誌上の当コラムでもお伝えしてまいりますので、どうぞお楽しみに。
ちなみに、京極高豊が最初に中津別館を造った年(1688年)から数えると(電卓を叩く)、……334年目!?
去年が333周年だったのですね……(ゾロ目周年を祝い損ねました)。
中津万象園・丸亀美術館のヒミツ
中津万象園 広報のY口です。
中津万象園内の丸亀美術館ではミレーやコローなど、フランス・バルビゾン派の貴重な絵画をコレクションしています。

実はこうした収蔵品以外にも、丸亀美術館には数々の特徴があります。(例によって公式HPには載っていません。ここに書くなら公式HPにも載せなさいよという話なんですがね。)
緻密な計算のもとで建てられた丸亀美術館

まずは外観から。
丸亀美術館は、大名庭園の景観に合うよう緻密な計算のもとで建てられています。
建物は平屋建てで自然との融合を図り、屋根は棟を雁行させて高低をつけ、リズム感を出しています。
屋根面には1%の起(むく)りを付けて棟を低く抑え極限まで単純化し、装飾要素を避けた構造になっています。
建築時に邀月橋から美術館が美しく見えるよう、数センチ単位で調整したという逸話も。

美術館から八景池に向かって張り出した観月台は梁のない構造のため、どうやって屋根を支えているのか不思議に思う人も。
実際に建設に携わった方に聞くと、屋根に鉄骨が入っているのだとか。晴れた日には観月台のベンチに座って天井を見上げると、八景池の水紋がゆらゆらと反射し、とても風流な趣を楽しむことができます。
これもまた、自然が織りなすアートと言えましょう。

美術作品を引き立てる館内のこだわり
外からは低く見える美術館ですが、館内に入ると意外と天井が高いことに驚きます。
そして、当館が特にこだわっているのは無駄を省いた美しさ。それは展示方法にも現れています。
一般的な美術館では、ピクチャーレールで作品を高所から吊り下げて展示しますが、当館では壁面に埋め込んだボルトにワイヤーを引っ掛けて展示しています。

こうすることでワイヤーが作品の裏に隠れるため、スッキリした展示ができる利点があります。
一方で、展示に動きを付けづらく表現の幅が狭まるのが短所ではありますが、下の画像のように板などを駆使してある程度はどうにかすることもできます。

館内にある桜材を使ったベンチ。
大人でもゆったりと座れるベンチのほぞ穴には、京極家の馬印である「立鼓」が。

丸亀市の旧市章にも使われていましたので、懐かしく思う人もいることでしょう。
このベンチ、木とは思えない重さで、先日うっかり持ち上げてヘルニアが悪化しました。

最後はこの、QRコードで開く自動ドア。
全体的に近代化の波に乗り遅れている当館ですが、ここだけハイテクなのが笑いどころです。
売店でQRコード決済はできませんが、美術館の自動ドアは開きます。
なので、皆さん「なんでやねん」とごく自然にツッコミを入れています(笑)

そのほか、「開かずの欄間窓」や「時代を先取りすぎた床下換気システム」などもありますが、それらは実際に見にお越しください(運良く私がいればご案内いたします)。
そして、自動ドアにツッコミを入れてってください!

大正時代はドイツ人が中津万象園で野球を?
中津万象園、広報のY口です。
「公式HPにも載っていない中津万象園・丸亀美術館のヒミツ」コラム第3回目はすこしディープな話題を。
さかのぼること大正時代、中津万象園でドイツ式野球「シュラークバル」がプレーされていたというお話です。

俘虜(捕虜)たちの運動場だった万象園
大正3年、丸亀市塩屋町の本願寺塩屋別院に設けられた俘虜収容所に、中国の青島からドイツ兵俘虜が送り込まれました。
第一次世界大戦真っただ中の当時、日本陸軍は日英同盟によりドイツの租借地だった中国の青島を攻めました。
そこで捕らえたドイツ兵のうち324人が丸亀に送られ、一部将校は船頭町(現西本町)の看護婦養成学校に、ほか大半は塩屋別院に収容されました。

ここでの俘虜たちは、国際法に定められた通り人道的に扱われました。
栄養に配慮された食事が与えられ、面会や郵便も許されました。
演劇や演奏会なども行われ、彼らが後に徳島県の板東収容所へ移された際の、国内初の第九演奏に繋がる、という話は聞いたことがある方も多いことでしょう。
ちなみに板東収容所での第九演奏の話は、『バルトの楽園』という映画にもなっています。
また、俘虜たちは監視付きで外出も許されていました。夏には塩屋の海岸で海水浴もしていました。
そして、彼らの外出先として最も多かった場所が、他ならぬ中津公園(中津万象園)です。
彼らの暮らしぶりを記した『丸亀俘虜収容所日誌』を紐解いてみると、丸亀にいた約2年半の間、週2回のペースで万象園まで行って運動をしていることが分かります。
「これだけ万象園に来てるなら、写真くらい残ってるんじゃないの?」と思い、県立文書館の嶋田典人先生に問い合わせたところ、やはりありました。
ドイツ式野球を楽しむ当時の人々
それが、冒頭の一見何だかよく分からないスポーツをしている写真です。
同じ画像でキャプション付きのものがあり、そこには「Schlagball」と書かれています。

よく分からないので早速ウィキペディア先生に聞いてみると...
シュラークバル(Schlagball)は、イギリスのクリケットが原形とされるドイツ式野球のこと。ドイツ語で「球を打つこと」という意味。
(中略)日本においては、第1次世界大戦中にドイツ兵捕虜約1,000人を収容した徳島県鳴門市の板東俘虜収容所内で盛んだったが、1920年1月に最後のドイツ兵が帰還して以降ほとんど行われていない。
シュラークバルというドイツ式野球であることが分かりました。
板東俘虜収容所でやっていたのなら、丸亀でも当然同じ事をやっていたでしょう。
同じ人が収容されていることですし。
別の写真もあり、フットボール(サッカー)をしているシーンとされていますが、こちらもシュラークバルなんじゃないか?と思います。
映っている人は守備位置についている感じですが、サッカーのディフェンスには見えません。
おまけにランナーっぽい人も写っていますし。

100年経っても面影が残る風景
で、画像に写っている場所はどこなの、という話ですが、ほぼ同時期に描かれた万象園の絵図面『萬象園眞影』(画像は模写版)や、遠くに見える下真島の位置から判断すると、現在の『うちわの里』(改修工事中)や『陶器館』がある辺りのように思われます。


嶋田先生からお借りした画像を色々見ていると、ガッツリ万象園を写したものがありました。

同角度から撮った現在の様子がこちら。

大傘松の枝ぶりが立派になりました。
これも当園のお庭さん(庭師)の手入れのたまものですが、それ以外は100年前とほとんど何も変わっていないことに驚きます。
そして人間は、野球も戦争も当時と変わらずやっています。
100年後はどうなっているでしょうか?
万象園は残っていればいいなあ。
戦前の絵葉書で見る中津万象園の今と昔
中津万象園、広報のY口です。
以前のコラムで少しだけ大正時代の万象園画像を紹介しましたが、戦前の絵葉書からも、約100年前の万象園内の様子を垣間見ることができます。

今回は、現在の万象園の写真とともに時代をさかのぼってみましょう。
魚楽亭
まずは本誌で紹介したかつての魚楽亭と、現在の様子。


変わっていないのは基礎の石組みくらいですね。
観月橋も架かってなければ、奥に見える茅葺き屋根の建物や晴嵐の島の石灯籠も、現在は無くなっています。
魚楽亭そのものも、当時は水上に張り出すように高床式で建っていますが、現在は島の上にあります。
この母屋そっくりの茅葺き屋根の建物がくせ者で、画像を見たお庭さんのボス・T口さんも「魚楽亭にしては……母屋の場所がおかしいのー」と頭を悩ませていました。
雁の島
その謎を解く鍵となるのが、この絵葉書です。現在の画像も並べてみます。


いずれも邀月橋の北側から雁の島を写していますが、現在の藤棚あたりに、かつて茅葺き屋根の建物があったことが分かります。
魚楽亭を写した絵葉書の奥に建っているのも、位置的にこの建物でしょう。
この建物がどうなってしまったのかは、また違う機会に。
兜石
続いてはこちら。雪の島から兜石越しに撮った邀月橋です。


兜石以外は、すっかり様子が変わってしまいました。なんかアヒルっぽいのもおるし(笑)
邀月橋も、昔はもっとなだらかな反り具合だったことが分かります。
兜石がある一帯は、現在では立ち入り禁止区域になっていますので、対岸の藤棚から見ることができるだけで、この角度から見ることはできません。
ほとんど存在を忘れられています。絵葉書になったくらいですので、かつては奇岩として景勝地の一つだったのでしょう。
傍にあずまやもありますし。
ちなみに、現在園内で飼っているアイガモがねぐらにしているのも、この近くの岩の上です。
観潮楼
丸亀市指定の文化財で、現存国内最古の煎茶席である観潮楼です。


鐘の島にある弁財天への石段を下りた船着き場から撮りました。(こちらも現在は船着き場として機能していないため、立ち入り禁止です。)
この高床式の建物が煎茶席だと判明したのはつい最近のことですので、当時は変わった茶室くらいに思われていたのでしょうか。
それとも、煎茶席であることが当たり前すぎて記録に残らなかったのでしょうか。
観潮楼の西奥の、現在山茶花ロードになっている辺りにも、何やら建物が点在していますね。
讃岐富士
最後は、その山茶花ロードから撮った讃岐富士です。


今では万象園本館の奥に先っちょがチョロっと見える程度の讃岐富士ですが、かつては遮るものも無く、堂々とした姿を見せていました。
100年で周囲の松も成長し、右側の観潮楼も隠していますが、ところどころに以前とほぼ変わらぬ姿形の松があるのも面白いですね。
中津万象園の今と昔まとめ
画像を比較して分かったことは、建物は減ったが松やその他の植栽と橋は増えた、ということでしょうか。
松も海側の中津球場周辺にあったものはごっそり無くなっていますので、総数では減っているかも知れません。
現在では当たり前の風景も、100年前は違っていたし、きっと100年後もまるで違うはずです。
その時の流れの中で、中津万象園のような文化財は、時代に合った方法で維持管理していくことが必要とされます。
特に、マツクイムシやシロアリの被害で各地の松林が消えている今、その脅威から園内にある1000本以上の松を守るには莫大な費用がかかります。
当園が公営化を目指しているのも、民間運営である以上はどこかで収益化して維持管理費を捻出しなければなりませんが、コロナ禍などでそれが困難になっているからに他なりません。
公営化の願いが叶うまで、私たちとともに「地域の宝を100年後の未来に残したい」という思いにご賛同いただける方は、是非賛助会員へのご加入をお願いいたします。
【連載コラム】中津万象園のここが凄い、こう使いたい
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」というテーマでお送りする連載コラムです。
実際に中津万象園の賛助会員になられている皆さんが、万象園でどのような楽しみ方をされているのかを取材してきました。
茶道裏千家正教授・松野宗幸さん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第1回は茶道裏千家正教授 松野宗幸さんにお話を伺います。

――松野さんは普段どのように中津万象園を利用されていますか?
毎週日曜日(冬期を除く)に園内で開催されている「母屋のお茶席」にて茶道の同好会である「丸亀万象会」の会員と共に呈茶を実施しています。
――丸亀のご出身という松野さん、万象園の思い出はありますか?
小学生の頃は、現在の中津万象園の海辺は、海の家もあり,海水浴場として賑わっていました。
私も小学校の授業で海水浴に来ていたという思い出があります。
その頃、中津万象園の庭園は一般開放されていなかったため、入った記憶はありませんでした。
――その後、中津万象園は富士建設の手により再建され、現在の姿になったわけですが、万象園とご縁ができるきっかけになったのは?
丸亀市文化協会主催のイベント(丸亀フェスタ)で、お茶会を催した際に、園内にある丸亀美術館の前にある観月台を使用させていただいた事がきっかけとなりました。
海辺の庭園という素晴らしいロケーションで、市民が活用できる素敵な施設があることを認識し、市民を含めて様々な人にもっと丸亀万象園を知ってほしいと思うようになりました。
――それをきっかけに、丸亀万象園をお茶会の会場として利用していただくようになったのでしょうか。
その後、中條文化振興財団主催の大茶会の際に丸亀万象園を利用させていただく機会もありました。
その大茶会は、猪熊弦一郎現代美術館や市民会館をはじめ、個人邸宅の著名な茶室を会場として市内の数カ所で開催された、大茶会の名にふさわしい素晴らしいイベントでした。
その際に、丸亀万象園の会場では、施設を存分に活用させていただき、一日中雨のお天気だったにもかかわらず、600名以上のお客様にお越しいただいたことを今でも覚えています。
丸亀万象園という場所で、茶の湯の雰囲気を味わいたいと思うお客様が多かったように思います。
また、私自身はもちろん、社中を含めてお客様をおもてなしさせていただく側としても、良い雰囲気の会場で茶の湯を催せたことは、とても良い経験となっています。
――松野さんは現在、丸亀京極万象園賛助会の賛助会員になられていますが、賛助会員になって良かった事はありますか?
賛助会員になろうと思ったきっかけは、丸亀市の貴重な大名庭園を後世まで残したいという思いが第一ですが、そのためには市民の皆さんに一人でも多く丸亀万象園を知っていただきたいと考えています。
そこで、現在、私のライフワークでもある茶道の分野で、幅広い年齢の方に茶道を学んでいただいていることもあり、月釜や様々な茶の湯の行事で利用させていただいています。
また、万象園の食事処である懐風亭での会食も良く利用させていただいており、同席者の方にはいつも喜んでいただけています。
――しかし、松野さんのように何度も利用される方が少ないのが現状です。入園者も伸び悩んでいます。何か、もっとこうすれば利用者が増えるのではないかという提言はありますか?
歴史的な建造物のみならず,現代的な利用場面においても様々なシチュエーションに対応できる施設を備えているのが丸亀万象園の強みだと感じています。その利点を広く認知していただければ、リピーターを含めて利用者も増えるように思います。
管理された美しい大名庭園で食事やお茶が気軽にできるのみならず、様々な会合の場としても利用できる施設は希少価値が高いように思います。
日本の伝統文化は茶道のみならず、華道・書道・日本画・俳句・和歌・邦楽等々、幅広く多岐に渡っています。
そのような伝統文化を気軽に楽しめる文化施設として、イベントを定期的に開催するのも良いと思います。
次世代の文化の担い手である若い世代にも足を運んで貰えるように、様々なSNSを通じて魅力を発信するのも一つの手段ではないでしょうか。

――万象園を造った京極家の祖である婆娑羅大名・佐々木道誉も、華道の源流である立花をはじめ、あらゆる文化に通じていたと言われていますしね。
最後に、今後の夢や目標があればお聞かせください。
私は現在,裏千家の「学校茶道」の取り組みに携わっています。万象園の学区内の城坤幼稚園をはじめ、丸亀市内の保育園・幼稚園・こども園・小学校を訪問し、茶道を通じた情操教育にも力を入れています。
その「学校茶道」の活動の中で、実際に万象園の庭園内のお茶室を使って教室をした際に、子ども達が故郷の歴史や四季折々の草花、池で羽を休める鳥たちなどの情景に触れることができ、子ども達の心をより豊かにしていることを実感しました。
そこで、丸亀市内の「学校茶道」の活動プログラムの一環として、万象園での茶道体験を取り入れていただけることを希望しています。
そして、子どもたちが大人になった時,また次の世代へと思い出と共に、この素晴らしい文化遺産を伝えていって欲しいと思います。
江戸時代から連綿と続く壮大な歴史の過程としては、瞬き程度のほんのささやかな活動かも知れませんが、丸亀の文化を守り育てるために少しでもお役に立ちたいと考えています。
スタジオ仁 高岡 仁さん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第2回は写真撮影のプロ、スタジオ仁の高岡仁さん(75)に中津万象園の魅力を聞いてみました。

――丸亀市内の8小学校、1中学校の学校カメラマンとして親しまれている高岡さんですが、カメラマンになられたきっかけは?
高校時代(観音寺商業)は、当初野球部に所属していましたが、高3の時に写真部に転籍して野球の写真を撮り始めたのがカメラとの出会いです。
高校卒業後、大阪で昼間働きながら夜間の写真学校に通い、観音寺に帰って地元の写真館に就職しました。

しかし、技術の未熟さを痛感、24歳の頃に横浜のエクボスタジオで今井イサオ先生のアシスタントをしながら本格的にスタジオ写真の仕事を学び直し、再び香川に帰ってきました。
――その頃から丸亀でお仕事を?
そうですね。
縁もゆかりもなかった丸亀ですが、城西町のテナントを借りて開業しました。
当時丸亀ではサニーマートさんやモトキの靴屋さんの写真を撮っていましたが、仕事のほとんどは地元の観音寺。
高速道路もない時代に、丸亀と観音寺を行ったり来たりするのは大変でした。
――中津万象園との出会いは?
当初は丸亀での仕事がほとんど無い中で、JCやロータリークラブに入って人間関係を広げていき、少しずつ丸亀での仕事も増えていきました。
その過程で現中津万象園保勝会理事長の眞鍋雅彦さんと知り合い、商工会議所の観光部会でともに活動する中で、中津万象園での活動を知り、賛助会にも入らせていただきました。
眞鍋さんの叔父さんの奥さんが高校の同級生だったりと不思議なご縁もあり、長い間懇意にさせていただいています。
万象園では、園内での催しのスナップ写真や、丸亀美術館で特別展をする際に作品写真を撮影していますね。
――カメラマンの高岡さんから見て、万象園内のオススメ撮影ポイントは?
とても美しい庭園ですから、四季折々の風景をバックに撮ればどこも絵になりますよ。

でも、朱塗りの太鼓橋で撮るのはプロでも意外と難しいんです。
カメラ初心者の方でも「映える」写真が撮れるお勧めスポットは、やっぱり鳥居回廊でしょうね。
朱塗りの鳥居と竹林を入れて空に向けて撮影すれば、とてもダイナミックな構図になります。
今はスマホで簡単に綺麗な写真が撮れますから、皆さんぜひチャレンジしてみてください。
私たちカメラマンにとっては死活問題なのですが(笑)
――高岡さんも賛助会員として鳥居を寄進してくださり、ありがとうございます。そんな高岡さんが「万象園のここが凄い!」と思うポイントは?
中讃地域では指折りのロケーションであることは、結婚式の前撮りや成人式の振り袖撮影の多さからも皆が認めるところだと思います。
こう言ったら失礼かもしれませんが、万象園は広すぎないところが、撮影する側、される側双方にとって凄くメリットなんです。
水鳥や鯉が泳ぐ池と8つの島々を中心に、周辺には美しく手入れされた松林が広がり、四季折々の花が咲く木々の間には鳥居回廊や太鼓橋、飛び石、茅葺き屋根のお茶室などが点在する。

それらを小一時間で回れ、視界を遮る邪魔な建物も少ない。
写りこむ人も少ない(笑)。
こんなに和装の撮影に適した場所は、滅多にありません。
一般にあまり知られていないのはもったいないですね。
――そう言ってくださるのは嬉しい限りです。高岡さんには、4月に稲荷社の神事も撮影していただく予定になっています。今後ともよろしくお願いいたします。最後に、今後の目標をお伺いしても?
歴史的な建造物のみならず,現代的な利用場面においても様々なシチュエーションに対応できる施設を備えているのが丸亀万象園の強みだと感じています。
その利点を広く認知していただければ、リピーターを含めて利用者も増えるように思います。
管理された美しい大名庭園で食事やお茶が気軽にできるのみならず、様々な会合の場としても利用できる施設は希少価値が高いように思います。
日本の伝統文化は茶道のみならず、華道・書道・日本画・俳句・和歌・邦楽等々、幅広く多岐に渡っています。
そのような伝統文化を気軽に楽しめる文化施設として、イベントを定期的に開催するのも良いと思います。
次世代の文化の担い手である若い世代にも足を運んで貰えるように、様々なSNSを通じて魅力を発信するのも一つの手段ではないでしょうか。
公益社団法人丸亀法人会女性部会会長 天野裕子さん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第3回は公益社団法人丸亀法人会女性部会会長 天野裕子さんにお話を伺います。

――公益財団法人中津万象園保勝会の評議員を務められ、長年にわたり中津万象園の保存活用に寄与されている天野さんですが、当園とのそもそもの出会いはいつだったのでしょうか?
一番古い記憶ですと、万象園の前オーナーさんの娘さんと同級生で、彼女から「立派な日本庭園を持っていて、そこには大きな傘松があってかくれんぼにちょうどいいのよ」という話を聞いたことですね。
どんな素敵なお庭なんだろう、と子供心にワクワクしていました。
――実際に万象園に来られたのは?
現在の富士建設さんがオーナーになり、丸亀美術館がオープンした時の「山下清展」を母と一緒に観に来ました。
坂出から讃岐塩屋まで列車に乗り、母とふたりで万象園まで歩いた道中のことも含めて、とても素敵な思い出になっています。
――その後の当園とのご関係は?
天野商事株式会社の経営者として、丸亀市商工会議所女性部会部会長をはじめ様々な組織の役員を歴任してまいりましたが、そこで中津万象園の真鍋理事長と知り合いました。
私にとっても思い入れのある庭園ですから、何らかの形でお手伝いできたら、と思い中津万象園保勝会の評議員に名を連ねることとなり、それから15年ほど経ちますでしょうか。
――現在は賛助会員として中津万象園を利用されてらっしゃいますが、天野さんから見た当園の魅力は?
よくお手入れされた日本庭園は、一見の価値があります。丸亀市内でここまで管理されている観光地って、他に無いんじゃないでしょうか?
丸亀城も石垣は美しいですが、庭木までは管理が行き届いて無い気がします。
私財を投じて管理を続けてらっしゃる富士建設さんには、本当に頭が下がる思いです。
私が子供の頃、空想に胸を躍らせていた大傘松も、枯死の危機を乗り越え立派な枝振りを広げていて、いつ見ても感動しますよ。
初めて見た時は、友達から聞いて想像していたものよりもスケールが大きくてびっくりしました(笑)
――天野さんをはじめ、根強いファンの方々に支えられて中津万象園は成り立っています。
評議員としてもっとこうすればいいのに、というご意見はおありでしょうか?
私はどうしても経営者目線で考えてしまうことを前提に聞いていただきたいのですが、万象園は丸亀市指定の文化財なのですから、丸亀市に運営管理をしていただくのが一番いいと思います。
金銭面でも、使い道をどうするか、というだけの話であって、市の財政はそんなに困っていないはず。
市の文化財である以上、今の万象園で富士建設さんができることは限られていますので、お金儲けに舵を切る訳にもいかず、苦心されている様子をずっと拝見してまいりました。
アミューズメントパークとして楽しめるような場所にしてはどうか、というようなご意見があるのは存じていますが、経営者としては本当にできる限りの手を尽くされていると思います。
私自身、以前評議会の場で丸亀市の担当者に質問したこともありましたが、「公営化は民意が得られない」という回答で歯がゆい思いをしたことがあります。
かつて金子香川県知事が栗林公園を県の文化サロンとしてデザインしたように、丸亀にも文化的な面で政治力を発揮してくれる方が登場してくれることを願っています。
うちわミュージアムの万象園への移転がその契機となればいいなと思い、今後の丸亀市の動きには大いに期待しています。

セーラー広告株式会社 平岩友子さん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第4回はセーラー広告株式会社西讃支社営業課 平岩友子さんにお話を伺いました。

セーラー広告さまには賛助会法人会員になっていただいており、香川社長、今田西讃支社長をはじめ、多くの社員さまに日頃から万象園をご利用いただいております。
今回は、当園担当の営業スタッフとして従事され、おそらく御社内のどなたよりも当園に詳しい平岩さんに、お話をお伺いいたします。
――現在は中津万象園のどのような業務を担当されてらっしゃいますか
各種メディアへの広告掲載のお手伝いをはじめ、園内外の看板・表示板やイベントフライヤーなどの制作から、スタッフさんのお悩み相談まで、いろんな方面から万象園さまをバックアップさせていただいております
――お悩み相談まで!? 聞いてマズかったらカットしますが、どんなお悩み?
そうですね。園内で飼うアイガモのヒナを調達したいけど、カモの卸業者を知らない?とか(笑)
――その相談をしたのは私やないですか(笑) その節はアイガモ業者を紹介していただき、ありがとうございました。おかげで2羽は元気に暮らしています。
SNSでもお見かけしますが、カモちゃんたちも今や中津万象園のマスコット的な存在になっていますよね。今日は会えるのを楽しみにしてきました!
ネット上の口コミ情報を拝見すると、カモちゃんの他に、鯉の餌やりコーナーも人気なのだとか。
もっと前面に押し出せばいいのでは?と常々思っています。

――常々思うところはたくさんおありかと思いますので後ほどゆっくりお伺いするとして(笑)、まずは平岩さんと万象園の出会いからお教えいただいても?
出会いは大学生時代です。
県外に進学したのですが、香川に帰省した時はいつも友達のお母さんが車で駅まで迎えに来てくれて、そのまま懐風亭へ寄ってランチ、というのが定番でした。
食後は丸亀美術館でバルビゾン派の絵画を見て、園内を散策して、それから観音寺の実家まで送ってもらっていました。
卒業後は県外で就職したのですが、後に県内企業に転職するまで、その一連の流れはずっと続きました。
ですので、今も会社から自宅へ帰る時に万象園の前を通ると、条件反射的に「帰ってきた!」という郷愁に包まれます。
私にとってはある意味ふるさとのような場所。
それが万象園です。
――香川県へ帰ってきてからは?
その友達のお母さんとは変わらず定期的に食事に来ていますし、仕事での大事な会食や、友人や親族でお慶びの席を設ける時など、折に触れて懐風亭を利用しております。
もちろん、今は法人賛助会員の社員割引をフル活用させていただいております。
――セーラー広告で当園の担当になられたのは?また、当園での業務でアイガモ以外に印象に残っていることはありますか?
担当になったのは2021年の春です。
ちょっと運命的なものを感じましたね。
印象に残っている仕事は、園内マップの更新業務でしょうか。
私にとって万象園での最初の仕事でしたし。
鳥居回廊の延伸に伴い、イラストレーターさんに園内マップの鳥居を描き足していただいたのですが、あそこは絶妙にカーブしているのでそのニュアンスを伝えるのが難しくて。
何度も自分の足で鳥居回廊を歩き、動画にも録って、どうにかイラストに落とし込んでいただきました。
――それは私もよく覚えています。そもそもこちらが図面を用意できなかったのが悪いので申し訳ないのですが、「ちょっと鳥居を歩いてきます!」と高らかに宣言した平岩さんがスタスタと海岸に向かって歩いていったのでビックリしました。
それは早くお忘れください(笑) 最初の仕事だったので、気合いが入りすぎて空回りしてしまいました。
――でも、その気合の入った仕事ぶりのおかげで素敵なマップができて嬉しいです。
園内のマップ前で記念撮影をしているお客様も多いので、本当に感謝しています。

――平岩さんが思う万象園の売りはどこだと思いますか?
万象園で四季折々の風景を愛で、花鳥風月に触れ合うことは、心の豊かな人生につながるのではないでしょうか。
他国の文化に触れる余裕のあるインバウンドの方々に万象園が人気というのも頷けます。
ですが、地元の人々をはじめ日本人にこそ見ていただきたいです。
心の拠り所となる日本の原風景が、こんな身近にあることをもっとたくさんの人に知ってもらいたいです。
それから、適度にコンパクトなので、全スポットを巡るくらいでちょうどいい満足感が得られるのも素敵です。
――では、今お伺いしたように万象園に思い入れがあり、しかも頻繁に足を運んでくださっている平岩さんから見て、「もっとこうすればいいのでは?」というご提言がございましたら
まずは、このバ◯クリン色の八景池がもっと綺麗にならないのかな、と。
せっかく鯉がたくさん泳いでいて、それを目当てに来るお客様もいらっしゃるのに、濁っていてよく見えないのは本当にもったいない。
水を綺麗にする事業に取り組んでいる、というニュースで取り上げられるだけでも話題性があって知名度アップに繋がるのでは、と思います。
あと、これは私の個人的な趣味ですが…顔ハメパネルがあれば嬉しいな、と(笑)
まとまった休みが取れた時などに、よく夫とふたりで全国各地へ旅行に行くのですが、事前にパネルがある場所を調べておいて、行く先々で顔をハメて撮影しています。
バカバカしいと思われるかもしれませんが、思い出として記憶と記録に残ることはもちろん、パネルを通して全国各地の名所旧跡や名産品を知ることができ、パネルを探す道中やどうやったら映えるハメ方・撮り方ができるかなどを話し合っているうちに自然とパートナーとの会話も生まれ、夫婦円満にも繋がりますよ。
ぜひ園内に設置して、眞鍋理事長も奥さまとご一緒にいかがですか?

香川近現代史研究会 山口 雄一さん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第5回は、香郷土史研究会・香川近現代史研究会の会長を務め、丸亀市文化芸術推進審議会委員でもある山口雄一さんにお話を伺います。

――子どもの頃から丸亀市民という山口さんですが、中津万象園との接点は?
私は丸亀でも万象園がある城坤校区在住ですので、まさに地元中の地元。
子どもの頃は、すでに海水浴場ではなくなり水質も良くなかった中津の海岸で泳いでいましたし、中津のグラウンドに勝手に入り込んで野球もしていました。
万象園前の水路でメダカも採っていましたよ。
このように、周辺でさんざんウロウロしていましたが、実際に園内に入ったのは大学生になってからですね。
厳密に言うと、裏で勝手に野球をしていた頃、ホームランボールを取りに不法侵入はしていましたが(笑)
――正々堂々と園内に入ったきっかけは何でしょう?
中津万象園は丸亀藩主京極家の大名庭園ですが、私の母方の実家が高松藩遠見役という、江戸時代に高松藩主松平家の大名庭園を管理していた家なんです。
栗林公園じゃないですよ?
庵治御殿という、明治初期に火災で消失した「消えた大名庭園」の1つです。
藩祖松平頼重公がとても愛した場所だそうで、今では井戸しか残っていませんが、何となく往時の名残りを感じられる風光明媚なところです。
そんなこともあり、自然と「大名庭園感度」が高くなっていたんでしょうね(笑)
自分のルーツ探しの一環で、純粋に大名庭園とはどんなところだろうという興味で入園しました。
庵治御殿も残っていればこんな感じだったのかな、などと考えながら。
――当時の感想は?
思っていたより綺麗に整備されていてビックリしましたよ。
美術館や食事処も併設されていますし。こんな素敵な大名庭園が小中の校区内にあるのに、どうして学校行事などで使わなかったんだろう、と不思議に思いました。
あと、ひいな館の雛人形群は昼に見ても怖かったので、夜中にお化け屋敷として営業したら面白そうだな、と(笑)
――その後、万象園とはどのような接点が?
県内の編集プロダクションに就職した際、万象園を運営している富士建設さんの50年史の編纂に携わり、万象園にも取材に行きました。
某旅行雑誌の取材にも行きましたね。
友達と鉄道模型展や絵金展も観に行きましたし、「月見の宴」にも行きました。
コロボックルでの映画上映会にも10回は行ってますよ。
途中で雨が土砂降りになって延期になった回もありましたね。あの時は雨宿りのためにタダで園内に入れてもらえましたが、ずぶ濡れになったせいで風邪をひきました(笑)
その後は何やかんやありまして、ちょっとの間万象園のスタッフにもなり、SNSの中の人をやっていました。今でも私のつぶやきがネットの海に残っていますよ。
退職後も、大事な取材の際に懐風亭を使うこともありますし、運動不足解消のために園内を歩くこともあります。
私にとっては無くてはならない存在ですね。
――現在は郷土史家として近現代史の研究をされているという山口さんですが、近現代の万象園も研究対象なのだそうですね。大名庭園と近現代史はあまり関連性がなさそうですが?
むしろ明治維新以降、持ち主である大名家の手を離れ、言い方は悪いですが「ただの庭園」になってからの方が研究対象としては面白いですよ。
中津万象園は20年ごとに持ち主が変わり、一時は大財閥の鈴木商店が所有したりしていました。
歴代の持ち主にどんな思惑があったのかを考察すると楽しいですよね。
大正時代の第一次世界大戦後には、塩屋別院に収容されたドイツ人俘虜たちの運動場として使われていて、彼らが万象園内で「シュラークバル」というドイツ式野球に興じていたことが記録に残っています。


昭和に入ると、現在野球場があるところに築山と池があったのですが、その周囲で自転車レースもしていたそうです。
最近は、香川新報(現在の四国新聞)の記事や戦前の古い絵葉書などをもとに、観光地としての万象園がどういう歴史を辿ったのかも調べていますので、いずれ何らかの形で発表できればと思っています。
――万象園の今後について、思うところは?
私の人生にも大きな関わりがあり、心の拠り所みたいな部分もある万象園ですので、絶対に後世に残したい場所。
庵治御殿のように世間から忘れ去られる未来は寂しすぎます。
ですので、母親名義で賛助会員を続けています。
ただ、厳しい台所事情も知っているだけに、気軽にああしろこうしろとは言えません。
その分、外野からではありますが、できる限りの援護射撃はしていきたい。
大名庭園としてはもちろん、それ以外にも結構面白いエピソードが埋もれている場所だということを、歴史研究家の端くれとして世間に広めていきたいですね。
また、スタッフ時代、丸亀京極家とゆかりの深い滋賀県の沙沙貴神社の宮司さんと親交を深め、「何かコラボレーションできたらいいですね」という話をあたためていましたので、それも実現させたいですし、その際にはお手伝いしたいと思います。
あと、猫ですよ、猫。
猫がいたら猫好きは来ると思いますので、受付で飼って園長さんにしましょう(笑)

株式会社日本総険社長 葛石 智さん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第6回は公益財団法人中津万象園保勝会の理事を務める、株式会社日本総険代表取締役社長の葛石智さんにお話を伺います。

――多度津町ご出身の葛石さんにとって、中津万象園との出会いは?
私が子どもの頃は、まだ中津の海岸が海水浴場でしたので、多度津からよく泳ぎに来ていました。
その頃の万象園で強く印象に残っているのは、何といっても美しい松林。
今でも当時と変わりなく松林が残されているので、訪れる度にあの頃の思い出が蘇ります。
これも真鍋理事長をはじめスタッフの皆さんが保全に尽力されているおかげです。
――現在、葛石さんは中津万象園保勝会の理事をされていますが、どういった御縁で?
私は保険仲立人という仕事をしていますが、中津万象園の先代理事長・真鍋利光さんが高知の五台山竹林寺の五重塔を再建する際、建設工事保険を仲介したのがそもそもの御縁でした。
五重塔のような木造建築に特化した保険が当時はほとんど無かったのですが、先代理事長の文化財再建に対する熱意にほだされ、何とか1社探し出して契約していただきました。
それをきっかけに、先代からかわいがっていただけるようになりましたね。
富士建設の本社に度々呼び出されては、仕事とは無関係な話を色々と聞かされていましたよ(笑)。
――そんなことがあったのですね!では、万象園もその「色々な話」の流れで?
そうですね(笑)
ある日、先代理事長に連れて行かれた先が、あの懐かしい中津万象園でした。
その頃の万象園は個人の所有地でしたが、すっかり荒れ果てていて、一面ススキ野原のような状態。
2人で御成門の前に立って、しばらくそのススキ野原を眺めていたのですが、先代がおもむろに「ここを買おうかと思う」とおっしゃる。
失礼ながら、てっきり私は「分譲地にでもするおつもりなのかな」と思ったのです。
すると、「ここは京極家の大名庭園。丸亀市の財産であり、丸亀市民の宝。このような状態にしておくのは寂しすぎる。何とか自分の手で、昔日の景観を再現したい」と、目を輝かせながら熱く語られました。

――なんと、中津万象園のターニングポイントに立ち会われていたのですね!
今振り返るとそうですね。
その時は、「また夢のような話をされている」と思いましたが、その後、万象園と同じく民間が運営している足立美術館を一緒に見に行く機会もあり、相当思い入れを持たれている姿を拝見して、「どうもこれは本気やぞ」と(笑)。
――実際、足立美術館を手掛けた中根金作先生を招聘して、中津万象園を修景していただきました。
ですから万象園は、京極家の大名庭園という歴史的な面もさることながら、足立美術館の兄弟筋にあたる庭園という意味でも、本当に価値のある景勝地なんですよ。
あちらには近現代の日本画や魯山人の陶芸作品などのコレクションがあり、こちらはバルビゾン派の絵画や古代オリエント陶器のコレクションがあります。
勝るとも劣らない文化芸術の拠点たり得る場所なのに、丸亀市民から今ひとつ親近感を持たれていないのが残念でなりません。
私も丸亀市民なのですが、地元の皆さんに聞いてみると、県外の方が観光バスで行くところ、というイメージが定着してしまっていますよね。
もっと地元の方が気軽に利用できる場所、というムーブが作れるといいのですが。
――そのためにはどうすればいいでしょうか?
ひとつ私が思うのは、慶弔の催事で懐風亭を使うという市民は多いので、まずはそのお客様を園内へ誘導する仕組みを考えてみては?
今も食事と入園のセット券のようなものはあると聞いていますが、例えばそれにうちわをつけるとか、園内で何か体験できるようにするといった付加価値をつけてみるといいかもしれませんね。
逆に言うと、「法事でしか行ったことがない」という人があまりにも多いので、市民が日常的に懐風亭でランチを楽しめるようにすれば、好循環が生まれるような気がします。
もちろんインバウンドも含めて観光客の誘致も大切ですが、懐風亭をきっかけして万象園を市民の憩いの場にしていくことで、もっと活性化に繋がると思います。
目の前に大名庭園が見えるレストランをすぐ近くで利用できるところなんて、なかなか他にはありませんから。

――地元丸亀市民ならではの鋭いご指摘、ありがとうございます。交通アクセス面など課題は山積していますが、早速検討いたします。
そこは行政がもっと力を入れるべき点なのですが。市のコミュニティバスも、市外へ行く便はあるのに市内の中津へは行かないという、ちょっといびつな路線ですしね。
お城の石垣修復にお金がかかるのは分かりますが、それが他にある市の名所を蔑ろにしていいという言い訳にはなりません。
ましてや中津万象園は、市指定の文化財で、市民の宝なのですから。
私もできる限りの働きかけを続けてまいります。
――最後に、葛石さんが万象園でぜひ見てほしいと思うスポットをお教えください。
万象園は「見る」だけではなく、懐風亭の食事も含めて、五感で楽しめるスポットです。
中でも私が好きなのは、あの松林です。
「閑坐聴松風-閑坐して松風を聴く-」(一切の雑念を捨て、静かに座って、松が風に揺れる音に耳を澄ませば、澄み渡った音が聞こえてくる。すなわち、心静かに自然の真理や宇宙の息吹に触れる境地を示すことを表す言葉)という禅語がありますが、まさにその境地に到れる場所。
是非、耳を澄まして松林を通り抜ける浜風の音、木々のざわめき、野鳥の声などに耳を傾けてほしいです。
松林は、手入れを怠るとあっという間に枯れてしまいます。
かつてあった松の名所がどんどん失われている中、あの規模の松林を、ありのままの姿で維持保全しているのは、先代理事長の思いを受け継いだ富士建設さんの矜持のようなものを感じます。
しかし、そこにかかる莫大なお金と労力は、世間一般には伝わりにくい。
積み直せばいい石垣とは違い、枯れてしまってからでは手遅れなのですが……。
ここも行政からのサポートが得られるといいのですが、その理解を得るための時間と労力もまた、相当かかるであろうことは容易に想像がつきます。
そんなじれったい思いも多々ありますが、今後も先代の遺志を知る中津万象園最古参の賛助会員として、日本のどこにもない「森羅万象の大名庭園」を守るお手伝いができれば嬉しいです。

香川県観光協会 佐藤今日子さん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第7回は公益社団法人香川県観光協会の佐藤今日子専務理事にお話を伺います。

――香川県をはじめ全国各地の観光地事情に明るい佐藤さんから見た「中津万象園」とは?
中西讃を訪れる観光客の皆さんにお勧めしやすい観光地、ですね。
京極家の大名庭園として、丸亀市指定の文化財というお墨付きもありますし、いつも手入れが行き届いていて静かで美しい、加えて無料の広い駐車場があって、ランチをいただける「懐風亭」があるのは大きいです。
万象園での昼食を軸に観光プランを組みやすいですし。
歴史やアートに興味を持って香川県を訪れる皆様には是非足を運んでいただきたく、県観光協会でも、こんぴらさんをお詣りする中讃観光のモデルコースに組み込んでいます。
――ありがとうございます。栗林公園との大名庭園コラボ企画の際も、佐藤さんにはお力添えいただき、本当に感謝しております。
大名庭園巡りというのは、これまでに無い面白い企画だったと思います。
ただ、1日に大名庭園だけを2つ巡る人は、どうしても「歴史好き」とか「庭園好き」の方に限られてしまいますので、日帰りの方や滞在が1日だけの方にはお勧めしづらいジレンマがありました。
泊りがけで来ていただける方にはもってこいの観光地なのですが、香川で宿泊されない県外観光客の方も多いので、県観光協会としても「香川で1~2泊してもらおう」という滞在型観光の推進を柱の一つにしています。
県内でゆっくりされる観光客が増えると、もっと万象園を巻き込んでいけると思います。
――私も、旅行系インフルエンサーたちが発信する「1日で香川を遊び尽くす」系のYouTube動画を観たりしますが、まぁことごとく万象園がスルーされていて悲しくなります。ですが確かに仰る通り、「朝栗林公園に行って昼から万象園に行こう」とはならないですよね。1泊したとしても、大名庭園2つはむつごい気がします。観光のプロの目線から、何かご提案はありますか?
現存日本最古の煎茶席「観潮楼」がある、という付加価値を活かしたいですね。
煎茶道体験などができるといいのですが、煎茶道人口の少なさと、観潮楼自体普段公開されていないのがネックでしょうか。
ですが、煎茶文化自体は日本人の生活に溶け込んだ堅苦しくないものですし、観潮楼も公開できるのであれば日常的に公開して広報すれば、十分売りになる存在だと思います。

――母屋での抹茶体験はやっているのですが、折角日本最古の煎茶席があるのに活用しない手はないですね。実は市観光協会とのコラボで「京極煎茶」をブランド化して売っていた時期もあるのですが……。
そういった丸亀市とのコラボは積極的にやった方がいいと思います。
行政と民間のコラボは、県内の他地域でも活性化していますし、ましてや丸亀城と中津万象園は京極家のお屋敷と別邸なのですから、セットでアピールした方が訴求力が高まります。
――そう思って、丸亀城の天守と万象園のセット割引券の販売を、この8月から始めたところです。
素敵ですね!
そのような取り組みを単発で終わらせるのではなく、二の矢三の矢を放っていくことで、より多くの人に届くのではないかと思います。
あまりお金がかからない取り組みであれば、継続されることが大事だと思います。
既存のコラボ企画である城泊などにも、いい影響が及んでくると思いますよ。
市の施設である丸亀うちわミュージアムも万象園に併設する形でオープンしましたが、そちらとの相乗効果は?
――おかげさまで入園者数増加には繋がりましたが、現状は期待した程では無かったというのが正直なところでしょうか。
民間企業として運営されている以上は利益を出さなければいけませんので、行政と方向性をすり合わせるのは難しい面もありますが、一緒に丸亀の観光を盛り上げていこうという情熱を持って知恵を出し合えば、きっと面白いことができるはず。
煎茶もそうですが、新しいことに手を出さなくても、既存の武器で十分戦えると私は思います。
――そうお考えになる理由は何でしょう?
私はカミーユ・コローの絵が大好きなのですが、大学生の頃に万象園の美術館にコローの絵があることを知り、友達と一緒に観に来たのが、万象園の魅力に気づいたきっかけです。
コローだけじゃなくて、バルビゾン派の大家の作品がいっぱいあって、「こんな近くで観れたんだ!」と感激したのを覚えています。
しかもお食事もできて、綺麗な日本庭園も散策できるんですよ?
最高じゃないですか(笑)。
もちろん万象園の存在はそれまでに知ってはいたのですが、「気軽に生で本物のコローが観られる場所」として私の中に強くインプットされました。
つまり、魅力に気づいていない潜在的なファン層に対して、きっかけ作りとPRをすることによって、結果につながると思うのです。
――万象園を訪れるきっかけは千差万別、人それぞれなのだとあらためて実感しました。
コローはお人好しで、それがゆえに贋作が多い画家としても有名という逸話をつい最近有名インフルエンサーが発信していましたが、そういうネタに乗っかっていくことも大事ですね。
最後に、佐藤さんのこれからの万象園に対する思いをお聞かせいただけますか?
私が初めて県の観光振興課に配属になったのが1990年頃なんですが、それから直島にベネッセさんの最初のミュージアムができて、最初の何年かはお客さんも少なくて、「同じ民間で頑張ってらっしゃる万象園さんみたいになってほしい」と思っていたんです。
その後、あちらは徐々にアートの聖地とまで言われるようになりましたが、逆に今は万象園さんが苦戦されています。
美術館も特別展のみの開催になってしまいましたね。
丸亀にも宿泊して本島などにも行くような魅力的な滞在プランができれば、駐車場と食事処を兼ね備えた万象園には、その中核を担うポテンシャルがあると思います。
私がお手伝いできるのはPR面くらいしかないかもしれませんが、万象園に県内外からのお客様が集うことを願って、これからも応援していきます!
丸亀市住みます芸人 大木 亀丸さん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第8回は丸亀市住みます芸人で、中津万象園賛助会員の大木亀丸さんにお話を伺います。

――大木亀丸さんには、以前もマルータ誌上で真鍋理事長と対談していただくなど、当園の情報発信の面では色々とご尽力いただいております。今回は、万象園ファンとしてのご意見をお聞かせいただけたら嬉しいです
いつも会社の社長さんとかが出ているコーナーなので恐縮です。
僕なんかでいいんでしょうか?
――亀丸さんは中津万象園賛助会員として万象園の振興に寄与されていますし、テレビ番組やYouTubeチャンネルのロケでも万象園を使っていただき、貢献度で言えばトップクラスです。むしろ真っ先にお呼びしたかったくらいですよ。何より、亀丸さんは子どもの頃からこの辺りで遊んでいたと伺っていますが。
厳密に言うと遊んでいたのは裏のグラウンドですが……。
園内に初めて入ったのは住みます芸人として丸亀に帰ってきてからなので、ほんの6年前です。
なので、あまり偉そうなことは言えないのですが、地元の多くの方がかつての僕と同じように「あるのは知ってるけど入ったことがない」状態なのが、本当にもったいないです。
――初来園以降はこれまでの負債を返済するがごとく何度も来ていただいていますが(笑)、亀丸さんにとって万象園の魅力は?
京極のお殿様が愛した美しい庭は、歴史ファンのみならず誰もが楽しめる場所だと思います。
何しろ、美的センスのカケラもない僕が楽しんでいるくらいですから(笑)
そこで鯉の餌やりや石投げ地蔵、日曜日のお茶室も体験でき、隣りの丸亀うちわミュージアムでうちわ作りもできる。
人それぞれにいろんな楽しみ方ができるレジャースポットだと思います。
――純粋に庭園巡りを楽しんでくださっているのが何より嬉しいです。特におすすめのスポットや季節などはありますか?
紅白の梅の花が咲く早春がオススメですね。
――意外とマニアックなところを突いてきましたね!
決して派手ではないものの儚く美しい梅の花と、背景に広がる広大な松林のコントラストには、日本庭園の侘び寂びを感じます。
そこにメジロが飛んできた時は、映え写真を撮るシャッターチャンスです!
――普段、「F持ちなのでスタートが…」とか「モーターの素性がイマイチで…」とか言ってる人とは思えないですね!いや、いい意味で!
おかげさまで、ボートレースの仕事で全国の色んな施設へ呼んでいただけるようになりましたので、時間があれば勉強も兼ねて周辺の観光地へ行くようにしています。
そこで得た知識や経験を、自分のお笑い人力車や、地元丸亀の観光振興に活かせたらいいな、と思って。

――いやもう、住みます芸人の鑑じゃないですか!亀丸さんのその誠実さが、地元の皆さんやボートレースファンに愛されている要因なのでしょうね。
そんな全国の観光地に行きまくっている亀丸さんから見て、もっとこうしたら万象園も良くなるのに、というご提言はありますか?
オリジナルのスイーツは欲しいですね。
折角日本最古の煎茶席があるのですから、煎茶と抹茶のスイーツがあると、浜街道をドライブしている若い人たちも立ち寄りやすいんじゃないでしょうか。
僕も行った先々で食べたスイーツをSNSに上げたりしていますし、需要はあると思います。
――売店で地元の銘菓は売っていますが、おまんじゅう系が多いですしね。ご年配向けの商品に偏っている傾向は確かにあります。
売店で言うと、オリジナルグッズがもっと増えたら嬉しいですね。
先日直島に行った時、買うつもりもなかった「I♥︎湯」タオルをつい勢いで買っちゃいましたが、観光客はみんなだいたいそんな感じだと思います。
旅の思い出になる、ちょっと面白いユニークなアイテムがあると勢いで買っちゃいます(笑)
――丸亀城の観光案内所にも、面白おかしい系のアイテムが結構ありますもんね。胸の部分に文字で「バルビゾン派」と書いただけのTシャツとか作ろうかな。
それは売れるかどうか、僕からは何とも言えませんが(笑)
――さすがお笑いのプロは厳しい!
僕のことをめっちゃ面白い人みたいに言うの、やめてくれますか(笑)
――天守で単独ライブをやったり、毎年フェスを開催している人が何をおっしゃいますやら。
その毎年やっている「カメフェス」も、記念すべき第1回目は万象園さんの野外ステージ「コロボックル」で開催しました。その節は大変お世話になりました。
――あの時は、石村嘉成さんの個展とのコラボ企画もできて、こちらも様々な可能性や改善点を見出すことができ、充実したイベントになりました。
最高のロケーションですし、出演者の皆さんも喜ばれていましたよ。
普段使われていないのが本当にもったいない施設だと思います。
コロボックルの活用も、万象園の活性化には重要なピースかと。僕のような部外者でも格安で借りられることを、皆さんご存知ないのでは?
――それはあると思います。もし亀丸さんがコロボックルを使ってまた何かやるとすれば、どんなことを?
親子で参加できるイベントがいいですね。コロナ以降、多くの学校の運動会が規模縮小で父母が参加できなくなり、子を持つ親としては寂しい気持ちしかありません。何か親子で参加できるイベントをやりたいですね。それこそ、あの広さがあれば運動会もできますよね。
――万象園内も使うとなると、もっと可能性が広がりますね。
広い万象園は、体験型のレジャーにはもってこいだと思うんですよね。
謎解きとかスタンプラリーとかなら、親子でも楽しめます。そもそも子どもが行くレジャースポットは、基本は親に連れられてくる場所ですからね。
それに、子どもの頃に行ったことがない所には、大人になってもあまり行かないように思います。
なので、子どもの頃に楽しかったイメージを持たせることは、これから先の万象園にとっても大事なんじゃないかと。
――幼少期からお父さんとボートレース場に行っていた人だけあって説得力があります!正直言うと「八景池でボートレースをしたい」とか言い出すと思ってツッコむ準備をしていたのに、至極真っ当なご意見で感服いたしました。
僕もちゃんと考えてますよ!
そうだ、うちわミュージアムやボートレース場とのコラボも楽しいんじゃないでしょうか?
それこそスタンプラリーとかで。イベントの司会進行に僕を使っていただけたら、なお楽しいですね!
――こっそりお安く請けてくれるなら考えます。
すみません、吉本興業の会計は今クリーンになっていますので、ちゃんとマネージャーを通してください(笑)
――ケチ!(笑)ところでコラボといえば、丸亀市とのコラボで、丸亀城の天守と中津万象園の共通入場券が販売されています。亀丸さんも普段は人力車の運行で丸亀城に常駐していますし、両方を行き来する機会が誰よりも多い方です。最後に何かPRメッセージをお願いします。

丸亀城は京極のお殿様のお屋敷があった場所で、中津万象園はその別邸です。
繰り返しになりますが、歴史好きならもちろん、そうでない方も絶対に両方とも行く価値があります。
そのためには城泊をご利用いただくのが最高なのですが、ちょっとお高い!
そう思っている皆さんにも、この共通チケットなら格安で両方お楽しみいただけます。
午前中に天守にのぼって眺望を楽しんだ後、僕の人力車に乗ってお城の周囲から石垣の美を堪能し、万象園に移動して懐風亭でランチに舌鼓を打ち、昼からゆっくりと大名庭園を周る、なんてプランもオススメです。
この記事が出る直後の令和8年1月1日には、丸亀城大手門広場で新春初笑いライブを開催します。
万象園もお正月から開いていますので、僕のライブの後は万象園の三社詣りで初詣をして、ぜひ丸亀のお正月を満喫してください!

中津万象園の公営化応援企画 てまりさん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第9回は、県内在住の会社員・てまりさんにお話を伺います。
実はてまりさん、会社員とは別の顔をお持ちで、ご自身が運用するInstagram上で中津万象園の公営化応援企画を続けてらしゃいます。

――中津万象園を応援するようになった経緯を教えてください
大学生の時に、京極家の宝刀・ニッカリ青江が丸亀市立資料館で公開されたのですが、ニッカリ青江を擬人化したキャラクターが活躍するソーシャルゲーム『刀剣乱舞』のファンの皆さんが、大挙して丸亀に来てくださることが、SNSの情報などから分かっていたんです。
そこで、刀剣乱舞ファンの皆さんに丸亀を満喫してもらうため、私が代表となってガイドブック制作のプロジェクトを立ち上げたんです。
――大学生が、たったおひとりで?
制作は基本ひとりで行いましたが、編集のいろはを教えてくださったマルータの楠田さんをはじめ、多くの皆様のお力添えをいただきました。
――完成したガイドブックは私も拝見いたしました。ニッカリ青江の解説はもちろん、市内の観光スポットや骨付鳥・うどん・スイーツなどのお食事処、宿泊施設やお土産、公共交通機関の情報まで網羅されているもので、地元民でも役に立つ逸品でした。万象園も散策ルートを含め大きく取り上げていただき、ありがとうございました。
こちらこそ、当時親身になってサポートしてくださった方のおひとりが、万象園を運営管理されている富士建設の真鍋社長でした。その節は大変世話になりました。
――こうしてガイドブック制作がてまりさんと万象園のご縁を結んでくださった訳ですが、その後どこでSNSを使った公営化応援企画へと繋がったのでしょうか?
ガイドブック制作の取材で真鍋社長に伺ったお話や、マルータさんの万象園の特集記事に掲載された真鍋理事長のインタビュー記事などを通して、万象園の運営状況がとても厳しいということを知りました。
その時、「丸亀の観光に携わる者として、重要な歴史的庭園の消滅の危機を見なかったことにしてはいけない。これは誰かがやらなければ」と思ったのがきっかけです。
そこで、ガイドブック制作で培った広報スキルを活かしてSNSで情報発信しよう、と思いつき、万象園のSNSご担当者様にご相談させていただきました。
――知らなかったテイで聞いていましたが、当時ご相談された担当が私でしたので、その辺りは昨日のことのようによく覚えています(笑) ここまで万象園を愛してくださっている方がいるんだと、本当に感動いたしました。で、賛助会員獲得目標300人のカウントダウン形式にしたのは何故でしたっけ?
昨日のことのようによく覚えてないじゃないですか!(笑)
公営化の話を市へ持っていく時の指標・実績にもなりますし、何かわかりやすいゴールがあった方が応援してくださる方のモチベーションにも繋がるのでは、ということで、万象園さんからご提案いただいた数字でしたよ。
――そうでした……。その賛助会員数も222人、カウントダウンも残り100人を切って78人となりました(2025年12月末現在)。300人に到達した暁には、何かしらの形でお祝いをしよう、という話になりましたね。早く実現できるよう、てまりさんに頼るばかりではなく、当園も情報発信に努めてまいります。 300人の目標を達成した後は、Instagramはどうされるのでしょうか?
賛助会員300人はあくまでも通過点で、万象園の公営化がゴールですので、もちろん続けます!
ですが、開始した当初はまだ学生でしたので週1更新もできましたが、社会人となった今は、仕事が繁忙期になるとどうしても余裕が無くなりますので、その間はお休みをいただく形にさせていただいています。
――競って映え写真を載せる傾向にあるSNSで、あえて手描きのイラストを中心にアップしていただくことで、親しみを覚えていただく効果も狙った企画だけに、てまりさんへのご負担も大きいものとなっています。どうぞご無理なさらずにお願いしますね。SNS発信をお休みされている間も、実はお忙しい合間を縫って万象園には来てくださっていますが、そこまでてまりさんを惹きつける魅力は何でしょう?
私も農業関係の仕事に従事していますので、お庭が生き物であることや、その管理がどれだけ大変かは身に沁みて理解できます。いつ来ても綺麗なお庭ですので、その裏でお庭さん(庭師)が相当頑張ってらっしゃることも容易に想像できます。「ありがたいなあ、私も頑張ろう!」とお庭に励まされながら、いつも散策しています。
――なるほど。「癒し」と「励み」の両方があるのですね。
それだけじゃないんです。初めて来た時から私を惹きつけてやまない要素は、「アドベンチャー」なんです。
――更に上位の魅力があったとは! お庭に癒やされに来る方は多いですが、「アドベンチャー」は初めて聞いたかも。具体的にどんなところが?
万象園の特徴の1つが、コンパクトさだと思うんですね。
それって結構強みだと思っていまして。少し歩けば、すぐに見どころに出会えるんです。
受付から母屋へ行くだけでも、まず園に入ってすぐ、トンネルのように頭上を覆うクロマツに圧倒され、それを抜けると朱塗りの邀月橋が現れます。
次が水蓮橋!あの飛び石は子どもも大好物のスポットです。
そして、弁財天などがある、いかにも和風な島々に架かる、これまたいかにも和風な小さい橋たち。
まさにあそこがアドベンチャーなんです!
――確かに言われてみると、晴嵐の島あたりのちょっとケモノ道チックなルートはアドベンチャー感がありますね。
ですよね!
あの真横に伸びる松の幹をくぐり抜ける所とか、抜けたら出てくる観月橋とか、もう「和風~♪おしゃん~♪」ってテンション上がっちゃうんです!
そしてゴールの母屋でお抹茶をいただく。
ルートを外れても鳥居回廊や石投げ地蔵などがすぐ近くに点在していて、ちゃんとお客様を飽きさせないように設計されているんだなと。
ですから、第一印象のパンチは凄いと思います。
――てまりさんのお話を聞いているだけでもワクワクします(笑)ガイドをやってもらいたいくらいです。
実は社員旅行で万象園に来たんですけど、「てまりちゃん、万象園に詳しいからガイドしてよ」と急に振られまして、社員の皆さんをガイドしたんです。
でも、ガイドするならちゃんと原稿作って、リハーサルもして、しっかり準備をしてやりたかった……。
万象園の魅力を伝えきれなかったという思いがあって、ちょっと悔しいんです。そして、それもInstagramのネタにしました(笑)

――転んでもただでは起きないぞ、という精神が素晴らしい(笑)でも、そこが万象園に足りていないマインドなのかも知れませんね。
まさにそうなんです。
色々と面白いことを企画されていますが、恐る恐るされているようで、皆さんの自信のなさが滲み出ちゃっているように感じます。
企画は自体は面白いので、自信を持ってやってほしい。
そして、ブラッシュアップしながら継続してほしいのです。
もう少し発信方法にも工夫を凝らしていただけたら、だいぶ違うと思いますよ。
――発信担当としては耳が痛い話ではありますが、例えばどんなところでしょう?
例えば、先日行われた鳥居回廊と大傘松のライトアップですが、場所によって照明の色を変えたり、大傘松を幹の下から照らしたりといった工夫が素敵すぎて、感動しちゃいました。


――そう言っていただけると嬉しいです。
でもね、事前にあったのは、単に「ライトアップするよ!」という宣伝ばかりで、「母屋でおしるこなどの甘味もいただける」といった情報が全然出てなかった。
あれがあるのと無いのとでは、お客様の食いつきもかなり違ったはずです。
そういうところが、いつももったいないなあ、と思うんです。
――先月の大木亀丸さんも同じようなことを仰ってましたが、そういうご指摘は本当にありがたいです。広報面で気になること、他にもありますでしょうか?
これが万象園最大の弱点だと思うのが、ズバリ「季節感」です!
お庭は季節感がてんこ盛りなのに、それをアピールしきれていないのが残念です。
先程も言いましたが、万象園は初見さんへのインパクトは凄いんです。
でも、それがリピーターに繋がってないのは、「いつ来ても同じ」と思われているからかと。
――一番のリピーターさんにそこを突かれると刺さりますね。栗林公園さんなら、今行くと夜桜のライトアップがあるな、恋つつじが咲いてるよな、花しょうぶ祭りしてるよな、と、季節ごとの名物イベントがありますしね。
あそこまで予算をつけて大規模にやるのは公営化されてからでもいいと思いますが、そこへの道筋をつける季節感の演出は、ちょっとした工夫でできるはず。
例えば、『母屋のお茶席』のお茶菓子を季節ごとに変えるとか、『懐風亭』の季節限定メニューをもっと目立つようにするとか。
これならばそんなに労力もかかりませんし、応援情報を発信する側にとっても、やっていただけると助かるんですよ。
――確かに、いつ行っても同じ絵面になると発信しづらいですよね。
そうなんです。懐風亭さんの料理は本当にセンスが光るものばかりで、ニッカリコラボの時のメニューや石村嘉成展のコラボカレーなど、「えっ!そう来るか!」という仕掛けがいっぱいで、いつも楽しませていただいてます。
でも、メニュー表を見ると、肝心の季節限定メニューが通常メニューと同じ扱いで書かれて埋没していて、折角の限定メニューなのにかわいそう、と思っちゃう。
だから、季節ごとにもっとドーンと限定感を出してほしいんです!
それが浸透していくと、「そろそろ次の新作が出るかな?」という期待感を持ってくれるファンが必ず定着しますので。味は私が保証しますから、ぜひ広報を頑張ってください!
――1年中万象園を見ているてまりさんならではの貴重なアドバイスをありがとうございます!そんな懐風亭ですが、てまりさんの園内で一番好きなビュースポットは「懐風亭から窓越しに見る万象園」なのだとか?
そうなんです!
懐風亭からの景色は、窓枠を額縁に見立てた絵画なんですよ!
八景池に架かる邀月橋と、取り囲むように彩りを添える松林をうっとり眺めつつ、美味しいご飯をいただくのが極上の贅沢です。
賛助会員なら割引もありますし(笑)
――舌鼓を打った後、アドベンチャーに出かけるわけですね!最後に、SNSでの発信が5年目を迎えたてまりさんの、「万象園でこれをしたい!」という目標をお聞かせください。
もちろん、万象園の公営化と賛助会員300人達成が大きな目標であることは変わりないのですが、個人的なことですと……。
当初思っていた「園内でコスプレ」という夢は叶っちゃったので、次は「雪の万象園を見る」が目標ですね。
チャンスはあったんですけど、こればかりは気候が相手なので(笑)
園内で雪雲を呼ぶ私の様子もInstagramにイラストで載せていますので、是非フォローしてご覧ください!
多度津町立資料館 館長 西山慶祐さん
「中津万象園のここが凄い、こう使いたい」シリーズ第10回は多度津町立資料館 館長 西山慶祐さんに話をお伺いします。
西山さんには、昨年の速水史朗先生の作品展をはじめ、中津万象園丸亀美術館での展示において、学芸員の立場から何度もアドバイスをいただいております。

――いつも展示室まで足をお運びいただいて貴重なご意見をたまわり、本当に助かっています。
散々手伝ってもらっておいてこんなことを聞くのもなんですが、どうしてそこまでしていただけるのでしょう?
僕は多度津生まれの多度津育ちで、子どもの頃から中津万象園を訪れる機会も多く、親しみがある場所、というのはあります。
美術展を観に来たこともありますし、幼稚園児の頃にお茶を習っていたこともあって、園内にお茶を飲みに来たこともあります。
祖母が懐風亭をよく利用していましたので、一緒に食事にも来ていました。今の自分の生き方にも繋がる、大切な思い出が詰まった場所です。
――一般的な丸亀の子どもたちよりも、間違いなく親しんでらっしゃったのですね(笑)
もちろん子どもの頃は親しんでいただけでしたが(笑)、町立資料館で館長をしているくらいですから、もともと郷土の歴史が大好きなんです。
多度津は丸亀京極家の支藩ですし、その丸亀京極家の大名庭園には、郷土の文化財としても当然興味がありました。
場所も多度津に近いですし。
――万象園の戦前の絵葉書を見ていると、「多度津の中津万象園」という扱いになっているものもあるくらいですしね。では、現在のように万象園での展示の助言などをされるようになったきっかけは?
絵葉書で思い出しましたが、万象園の広報誌の取材に来たスタッフさんに「資料館に万象園が写っている絵葉書などの古い写真が残ってないか」と尋ねられたのがきっかけで、色々と情報交換するようになりました。
その流れで、「ニッカリ青江コラボ企画で『丸亀京極展』をするのだけど、何か展示できそうなものは無い?」と軽く聞かれて、軽く「ありますよ」と言っちゃったもんだから……(笑)
――その軽いスタッフは私なのですが(笑)、西山館長は頼んだら何でも力になってくださるので、甘えまくらせていただきました。本当にありがとうございます。
『丸亀京極展』で展示企画に苦しんでいる時も、町立資料館から武田三郎先生の版画を出展いただいただけでなく、各方面のお知り合いにも当たっていただき、多くの貴重な資料を展示することができました。
あの時は大変でしたね。
僕も手伝うと言った以上、何とか力になりたいと思って頑張りました。
万象園で保管されている京極家の貴重な資料も見ることができ、勉強にもなりましたよ。
――実際に展示に携わられて、何かお気づきになられたことは?
さすが、バルビゾン派の貴重な絵画を収蔵されている美術館だけあって、資料の保存状態はいいな、しっかり管理されているな、と感服しました。
同時に、「もったいないなあ」とも思いました。
――それはどういった点が?
折角いい収蔵品があり、広く壁面展示できるスペースがあるのに、活かしきれてないんじゃないかと。
企画展示をするには、テーマへの専門性や話題性に基づいたタイミングが必要ですが、それにはやはり、常に情報に触れている学芸員の力が不可欠になってきます。
万象園さんには長く学芸員が在籍されていないこともあり、持っている資産を使って面白い展示をするチャンスが来ても、それを逃している印象があります。
――どうすればいいでしょうか?
人脈や経験を持っているベテラン学芸員さんに入っていただくと話が早いのですが、そうも簡単にはいきませんし……。
とは言え、僕が携わった短い間でも、万象園さんに足りない部分を、その道のプロが少しずつ支え合うスタイルが生まれてきて、「学芸員がいないなりのやり方」がだんだん見えてきている気がします。
そういう「万象園の方向性に共感し、万象園と一緒に歩んでいただける仲間」を増やしていくと、更に道は拓けそうな気がします。
それこそ、そんな考えをお持ちの錚々たる識者の皆さまが賛助会員になっていらっしゃるのですから、どんどん意見を採り入れてはいかがでしょうか?
僕も「丸亀美術館の壁面を使って、多度津が誇るアーティスト・速水史朗先生の平面作品を展示したい」という学芸員目線の希望をダメ元で伝えてみたら、共感する皆さんが知恵を出し合ってくださり、最終的に素晴らしい展示になりましたし。
――そういう繋がりがこれからどんどん広がっていくことを想像するとワクワクしますね。西山さんが今後万象園を使って何かやってみたいことはありますか?
庭園にアートを展示して、現代アート展をやってみたいですね。
僕がプロデューサー的な立場で携わっている「たどつアートフェスティバル」では、アーティストによる演出を展示する「演示」の手法を増やしてきました。
万象園という広大な大名庭園を使って、何か動きのある演示をやってみたら面白いんじゃないでしょうか。
夜もスポットライトを当てて演出すると、独特の雰囲気が出そうです。
――夜間ライトアップも好評でしたし、動きをつけて現代アートを演出すると楽しそうですね! その時は、是非またお力を……。
やっぱりそう来ちゃいます?(笑) 喜んでお手伝いしますよ!
またうちの資料館とコラボしても面白そうですね。
個人的には、大ファンの福本百恵先生の作品で演示できるといいなぁ……。
――福本先生も万象園ファンなので、お願いしたらワンチャンいけそうな気が……(笑) でも、こういうことなんですよね?
そういうことです!(笑)
【連載取材】新入社員ミキチャンの「万象園ハッケン伝!」

中津万象園の新人スタッフ・ミキちゃんが、万象園ゆかりの人物に素朴な疑問をズケズケと質問して答えてもらう新コーナー『新入社員ミキチャンの「万象園ハッケン伝!」』。
「お庭さん」のリーダー・堀口課長を取材
万象園の護り人である「お庭さん」のリーダー・堀口課長を取材しました。

現在、中津万象園では、5人のお庭さん(庭師)が、広さ約1万5千坪に及ぶ広大な大名庭園のお手入れをしています。これは、現存する他の大名庭園と比べても、かなり少数精鋭の部類だそうです。
そんなお庭さんのまとめ役でもある堀口課長に、私が入社してから抱いている疑問の数々をぶつけてみようと思います!
大名庭園とは?
堀口
僕に分かることなら何でも聞いて下さい。僕は、松の木と女性を大切に扱うことにかけては定評がありますから、懇切丁寧にお教えしましょう。
ミキ
とても頼もしい!記念すべき第1回目に堀口課長を選んでよかったです。じゃあ、最初の疑問です。そもそも大名庭園ってどういう場所なんですか?
堀口
おっと、以前のコーナーでサツキとツツジの違いを聞かれたので、今回もそういう類の質問かと思っていたのですが……。僕が把握している程度の話で大丈夫ですか?
ミキ
もちろん!私よりは間違いなく詳しいはずですから!
堀口
地味にプレッシャーを与えてきますね(笑)大名庭園は、ものすごく簡単に言うと、「江戸時代に全国各地のお殿様が自分の領地や江戸のお屋敷に造った、エンターテイメント性満載の庭」です。
ミキ
へぇ~!大名庭園というくらいですから大名が造ったことは知っていましたが、中津万象園のように自分の領地のものだけじゃないんですね。中津万象園は京極家の庭園ですよね?江戸の京極家のお屋敷にも大名庭園があったのですか?
堀口
聞く所ところによると、品川区小山の京極家下屋敷には、8400坪の広大な庭園があったそうですよ。今も当地に残る京極稲荷というお社にその名を残しています。
ミキ
万象園にもお稲荷さんがありますもんね!やっぱりお稲荷さんとご縁があるのですね。
堀口
万象園の稲荷社も、京都の伏見稲荷から勧請されたものですしね。稲荷社へと続く108本の鳥居回廊も映えスポットとして人気ですので、ミキチャンがどんどん情報発信してくださいね。
ミキ
もちろん、頑張ります!
大名庭園のエンターテイメントとは?
ミキ
先程、「大名庭園はエンターテイメント性満載」と話されていましたが、それってどういうことですか?
堀口
それまでの日本庭園が縁側に座って静かに眺めるものだったのに対して、江戸時代にできた大名庭園の多くは、園路を歩きながら景色を楽しむ、テーマパークのような造りになっているのです。
ミキ
それで琵琶湖や近江八景を模した池や島があったり、讃岐富士を借景にした見晴らしのいい場所があったり、園内に神社やお茶室が点在したりするのですね。
堀口
お茶の流派などは詳しくないので語れませんが、大名庭園の目的の1つは、お客さんを呼んでおもてなしをする場所だったようですよ。
ミキ
なるほど、ゲストハウスのような役割もあったのですね!
堀口
大名にとっては、立派な庭園を造ることが莫大な財力や高度な土木技術の証明にもなったのでしょう。お客さんに見せびらかしたい気持ちも分かります。
ミキ
そう思われるということは、堀口課長の造園技術も高レベルなんですね!
堀口
松に関しては、まあまあ頑張っていると思っています(笑)
ミキ
えー!是非見せてほしいです!
堀口
毎日何かしらの手入れをしてますので、お好きな時に見ていただいていいですよ(笑)
ミキ
じゃあ、ココを特に注目して見てほしい!というところを見せてください!
堀口
そうなるとやっぱり、大傘松ですね。
樹齢約650年のクロマツ・その名も「千代の傘松」

ミキ
うわー!入社してから何度か見ていますが、やっぱり迫力と美しさが群を抜いていますね!
堀口
それだけに、やはり手入れにも気を遣っています。樹齢約650年の老樹ですし。ここ母屋周辺のクロマツは、実はだいたい同じくらいの樹齢だと思われます。
ミキ
園内でも海に近い方のクロマツはとても背が高いじゃないですか?大傘松もそうですけど、どうして母屋周辺のクロマツは背が低いのですか?
堀口
それは、大きくならないように剪定しているからですね。髪の毛も切らないとどこまでも伸びるじゃないですか?原理はそれと一緒です。
ミキ
そういうことなんだ!じゃあ、高い松の木は切らずにほったらかしなんですか?
堀口
そんなことはないですよ。高い松もほったらかすと幹が折れて大惨事になったり、木陰を作って周辺の低木に影響を与えますから、1本1本丁寧に管理しています。
ミキ
えーっ!高い松の手入れをしているところも見たいです!
堀口
グイグイ来ますね(笑)他ならぬミキチャンの頼みとあらば、受けて立とうじゃないですか。

ミキ
うわー!高いです!落っこちたりしないんですか?
堀口
幸い、僕は落ちたことがないです(笑)
ミキ
「堀口印の落ちないお守り」とか、作って売っちゃってもいいですか?
堀口
そんなの作られた途端に落ちそうな気がするので、絶対やめてくださいね(笑)
堀口課長への取材まとめ
今回は、造園課堀口課長のお話を伺いました。
大名庭園がどんな場所なのかもよく分かりましたし、園内に約1000本ある松を、1本ごとに管理して手入れしてらっしゃるお庭さんの仕事がすごく大変だということもよく分かりました。
もっといろんな種類の松があるのかと思っていましたが、園内のほとんどの松はクロマツなのだそうです。
お庭さんがそれぞれを「お似合いの髪型」にすることで、お互い干渉し合わないようにしているんですね。
今回の取材を通して、万象園のことを発信する立場として、もっと色んなことを詳しく知りたくなってきましたので、これからどんどん体当たりであちこち取材していきたいと思います!どうぞお楽しみに!
中讃百景完成記念 狩野裕子展を取材
第2回のゲストは、万象園で個展を開催している洋画家の狩野裕子先生です。
万象園は一斉に咲き誇るツツジが美しいという評判ですが、桜の木も数こそ少ないものの、代笠亭に腰掛けてひらひら舞い散る花びらを眺めていると、日本庭園の侘び寂びを実感することができました。
桜といえば、「狩野桜」と呼ばれる独特なタッチで桜を描くことで知られる洋画家の狩野裕子先生の個展「中讃百景完成記念 狩野裕子展」を、園内の絵画館で2026年5月に開催中です。

先生が丸亀美術館で個展を開くのは2回目ですが、何でも狩野先生にとっては万象園が特別な存在で、今回の個展は先生にとっても悲願だったのだとか。
そこで、在廊中の狩野先生に真相をお伺いしてみました。
ミキ
狩野先生は中津万象園に深い思い入れがあると伺いましたが?
狩野
話せば長いのですが、大丈夫ですか?
ミキ
そんな壮大なドラマがあるのですか?ぜひお聞かせください!
堀裸婦画の背景モデルから、三豊百景まで
ミキ
そもそも狩野先生が万象園と出会ったきっかけは何ですか?
狩野
私が今のような風景画を描き始める前は、主に「裸婦」と「桜」をモチーフに絵を描いていました。その裸婦画の背景として、万象園の風景を描いたのがきっかけでした。
ミキ
もしかして、万象園本館のホールに飾ってある『麗日』という作品ですか?
近年は『三豊百景』『中讃百景』と地元香川の風景を中心に描かれている狩野先生ですので、もともと風景画を中心に描かれていたのかと思っていましたが、『裸婦』をメインに描かれていた時代があったのですね。
そこからどうして『三豊百景』や『中讃百景』に繋がっていったのでしょうか?
狩野
よく気付かれましたね!裸婦がメインの作品ですので、背景に描かれているのが万象園と言われてもピンとこない方が多いと思うのですが、さすがはスタッフさんです。
ミキ
私も「どうしてサギが描かれた裸婦画がここにあるんだろう」と疑問に思っていましたので、今すごくスッキリしました。万象園にはいつもサギがいますし(笑)
狩野
私にとっては地元の先輩でもあり、画家の師でもある田中岑との出会いがあったからです。観音寺で開催した田中との二人展のモチーフとして『三豊百景』の制作を提案され、「ふるさとの風景を描くことは、あなたにとって絶対プラスになるから」と言われたのがきっかけでした。
ミキ
私もどういう経緯があったのか気になっていました。実際のところ、先生にとってプラスになったのでしょうか?
狩野
振り返ってみると、いろんな意味でとてもプラスになっていますよ。
出会いと発見の数珠つなぎ・そして再び万象園へ
先生が『三豊百景』を描き始めたのは、今からちょうど20年前の2006年のことだそうです。
絵を描きはじめて15年目にして、それまでと違う視点で作品を描き始めることになったそうです。
私も中津万象園で働きはじめてまだ間もないので、どう向き合っていいのか分からない業務も多く、戸惑いの連続です。その1つが、マルータさんのこのコーナだったりしますけど(笑)
ミキ
狩野先生も、これまでの作品とは違うモチーフを扱うことに、抵抗や戸惑いのような気持ちはなかったのでしょうか?
狩野
もちろん、最初は「100作品も描けるだろうか?」と、先の見えない途方もない道のりを歩き始めたような不安がありました。
ミキ
私も図録で作品を拝見させていただきました。
『三豊百景』初期の作品は、これまでの延長線上にあるような、波打つ曲線を多用してふるさとの風景を表現されていますよね?
途中からガラッと作風が変わられて、何だか肩の力が抜けられたような、色彩もやわらかくなられた印象があるのですが。
狩野
その通りです。本当によく気付かれますね!
最初はプレッシャーもあったのでしょうね。風景を描くというよりも、私自身の情熱を風景というモチーフに乗せて描いているような感覚がありました。
それが、地元に帰って題材を探すための取材をしているうちに、ふるさとの皆さんの温かさに触れ、そんな皆さんが暮らすのどかな風景に目を向けた時、ふと気付いたんです。
奇をてらうことなく、この空気感をそのまま作品にした方が絶対に良い、と。
ミキ
わかります!いつも目にしている何気ない景色が、狩野先生の優しい視点で素敵に切り取られていて、三豊って有名な観光地も多いですけど、それ以外にもいいところがいっぱいあるんだ!って目からウロコでした。
狩野
そう言っていただけると嬉しい!デッサンのために実際に足を運んで、そこで暮らす人々と何でもない日常会話を重ねることで、作品のイメージを膨らませていきました。
こうした出会いが無ければ、『三豊百景』は完成しなかったかもしれません。
ミキ
『三豊百景』の地元香川での完成披露展を、丸亀の万象園でされたのはどうしてですか?
狩野
これもいろんなこ゚縁が繋がった結果なんです。
三豊の富士建設さんが万象園の運営管理をされていることもありますし、そもそも万象園とご縁がある友人に紹介していただいたのですが、行ってみれば高校時代のクラスメイトの元同僚さんや仕事仲間の方がスタッフさんにいらっしゃったりして。
ミキ
そのクラスメイトって、うどんブームの火付け役の方ですか?
狩野
そうなの。だからでしょうか、皆さんうどん屋さん情報にも詳しくて、三豊百景展開催中に、万象園がある丸亀周辺の推しうどん店に連れて行っていただいたり(笑)
ミキ
いいなー!私も連れて行ってもらいたい!(笑)
狩野
私もまた行きたいわ。お願いして、今度ご一緒しましょう(笑)
うどんの話……じゃなくて、万象園での個展の話まで来たところで、今月はここまで。狩野先生のお話はまだまだ続きます。
ここから『中讃百景』へと、どう繋がっていくのでしょうか?
ミキ
続きが気になります!ヒントをいただけますか?
狩野
実はうどんの話も少し関係します。あと、パステルとの出会いもそうですね。
ミキ
すごく楽しみです!先生のお話をお伺いしていると、人との出会いがターニングポイントになっているんですね。私もこれからどんどん新しいことに挑戦していこうと思っているのですが、先生のお話をお伺いして、一歩踏み出す勇気をいただけました。
狩野
ここで私と出会ったのも運命なのよ、きっと。私が絵を描き始めたのが36歳の時ですので、ミキチャンもまだこれからいろんなことに挑戦できるわ。頑張ってね!

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中津万象園では賛助会員を募集中!
中津万象園では賛助会員を募集中です。
丸亀市の貴重な文化財である「中津万象園・丸亀美術館 」や、歴代藩主たちが約100年の歳月をかけて造り上げた大名庭園をいっしょに守っていきませんか?
「支援したい!」という方には当園のファンクラブ的な組織である中津万象園保勝会へのご入会をお願いしています。
応援、どうぞよろしくお願いします。
中津万象園・丸亀美術館の詳細
| 名称 | 中津万象園・丸亀美術館 |
| 住所 | 香川県丸亀市中津町25-1 |
| 電話番号 | 0877-23-6326 |
| WEBサイト | http://www.bansyouen.com/ |








